
この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。 2020年9月20日 (日) 05:25 (UTC)貼付。(表示終了予定:2020年9月27日 (日) 05:25 (UTC)) |
| ふじき たかし 藤木 孝 | |||
|---|---|---|---|
| 本名 | 遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)[1] | ||
| 別名義 | 藤木 敬士(旧名)[2] | ||
| 生年月日 | 1940年3月5日 | ||
| 没年月日 | 2020年9月20日(80歳没) | ||
| 出生地 | |||
| 死没地 | |||
| 身長 | 173 cm[4] | ||
| 職業 | 俳優・歌手 | ||
| ジャンル | 映画・舞台・テレビドラマ | ||
| 活動期間 | 1959年 - 2020年 | ||
| 事務所 | ホリプロ | ||
| 公式サイト | 公式プロフィール | ||
| 主な作品 | |||
| 映画 『網走番外地 北海篇』 『女囚さそり けもの部屋』ほか テレビドラマ 『夜明けの刑事』 『赤い嵐』 『学校へ行こう!』 『ナニワ金融道』ほか | |||
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藤木 孝(ふじき たかし、1940年〈昭和15年〉3月5日[4] - 2020年〈令和2年〉9月20日[5][6])は、日本の俳優、歌手。静岡県富士宮市出身[3]。ホリプロ最終所属[7]。本名は遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)[1]。
昭和40年代後半から50年代にかけて、藤木 敬士(読みは同じ)という芸名で活動していた。
東宝芸能学校卒業後の1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約し、テイチクレコードからデビュー。歌唱力とダンスの才を活かし、1960年代前半には「レージィ・ギター」「踊れツイスト」「ツイストNo.1」「ママのツイスト」「24000のキッス」などのヒット曲を連発し、「ツイスト男」の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。
1962年、人気絶頂の中で歌手引退を表明し渡辺プロ社長の渡辺晋の反対を押し切って退社、同年文芸プロダクションにんじんくらぶに入り、俳優へ転身する。演技を基礎から学ぶため文学座の研究生を経て、1966年には劇団欅の結成に参加した。1976年からは劇団雲と劇団欅の統合により誕生した劇団昴に所属し、主に翻訳劇などで活躍したが、2006年に退団した。
歌手としての実績を買われてミュージカルなどの舞台に立つ一方、悪役から刑事までこなす俳優として、映画やテレビドラマでも数多くの作品で活躍した。その特異な存在感で怪優としての再評価も高く、1986年には第12回菊田一夫演劇賞[9]、2003年には第38回紀伊國屋演劇賞個人賞[10]を、2005年には第45回ACC CMフェスティバル演技賞[11]を受賞している。
生前はかつての所属事務所の同業他社のライバル会社であるホリプロに所属していた。過去に渡辺プロダクションに所属していた人物のホリプロ移籍は非常に珍しい事例である。
2020年9月20日未明、東京都中野区の自宅で帰宅した息子が亡くなっていた藤木を発見した[5][6]。詳細な死因は不明。80歳没。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9C%A8%E5%AD%9D
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