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この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。2017年12月13日 (水) 10:19 (UTC)貼付。(表示終了予定:2017年12月20日 (水) 10:19 (UTC)) |
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中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。
主な業績[編集]
- プロ用コンデンサーマイクの開発(NHK技術研究所時代、今なお現役のソニーC-38Bの源流になるCU1-1を1954年に開発。その商品化はソニーに依頼)
- 国産初の放送モニタースピーカー(BTS放送技術規格)の開発(NHK技術研究所時代、商品化は三菱電機に依頼。型式名:2S-305)
- 世界初のデジタル録音機を製作
- PCMプロセッサー(家庭用VTRを使ったデジタルオーディオ録音機)の開発を主導
- CD-DAの開発・標準化を主導
- DATの標準化を主導(開発には関与していない)
- CD-Rの開発・標準化を主導
CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。
デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
ほか多数
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B9%B3%E5%A4%AA%E9%83%8E